Report:2025年5月/創刊100周年、京都大学新聞はいま

 「大学新聞」など、どこの大学にもあるだろう、と考えている方は、母校の大学新聞が今、どのような新聞になっているかご存じですか?大正リベラリズムのなか、治安維持法が施行されたころ、日本には相次いで「大学新聞」がいくつも発行され始めたのですが、今もしそれが継続していれば、続々と100周年を迎えるはずです。

 しかし、当時目指されたような学生自治のもとに、学生自身が編集し、自前の経営をしている新聞は現在どれほどあるでしょうか。紙面ではなく、デジタル化されたウエブサイトであっても発行され続けていればすばらしいのですが、感染症の拡大で一時期キャンパスから取材する学生も取材される学生もいなくなってしまい、コロナ以前にあった新聞の多くは姿を消したか、大きく変容しています。

 いや、まだあるよ、と思っている方はよく読んでみてください。編集権が完全に学生の手にあるでしょうか。少子化の一途を辿り、18歳人口が減り続けている今、大学法人は生き残るために受験生が戸惑うような情報は決して発して欲しくはないでしょう。私学だけではありません。国公立でも学内に拠点を置く大学新聞のジャーナリズムは消滅の危機にあります。

 5月例会では、1925年創刊、このほど100周年記念号を出したばかりの京都大学新聞社編集員、文学部3回生の砂川史佳さんに「創刊100周年、京都大学新聞はいま」と題してお話しいただきました。全体のお世話役を担っておられますが、編集長という役割は置いていないとのこと。1970年代の学生運動を総括して、大学内の権威性の打破を訴える京大新聞が、権威性のある組織構造を抱えているという自己反省からだそうです。

 1部100円で最大8000部発行、京都大学内7か所の販売BOXで誰でも購入でき、学生はもちろん教職員、近隣住民や、吉田神社参詣や修学旅行・京都観光の折に購入してゆく人もいるそうです。全国に定期購読者がいるとのこと、100周年記念号は歴代最多ページの44面(それでも100円)。例会当日の対面参加者は実物を資料として受け取りましたが、あまりの中身の濃さに驚かれたことでしょう。古いものは縮刷版でも読めますが、2008年以後の記事はほぼすべてウエブ掲載されており、サークル棟の建て替えで学生自身がカギを管理するなどは、大学当局との交渉の賜物、短期間在学するだけの学生には経緯を伝えることが大切だと語ってくれました。吉田寮明け渡し訴訟や琉球遺骨返還の裁判など、京都大学がかかわる裁判の記事も判決だけでなく、傍聴し経緯をまとめて一般紙よりも丁寧に報道しています。

 学生、教職員ら関係者からの情報提供で独自記事を書き、X(かつてのツイッター)で学生に直接取材するなどのほか、大学内にある記者クラブ、ウエブサイトに公開されている学内会議の議事録、京都大学への情報公開請求もしてネタ集めをしているそうです。

 誤字脱字の確認から構成・表現の吟味に至るまで、編集員がお互いにコメントし合って原稿を修正・推敲する校正や、編集員自身による割り付け作業など、修正がきかない紙媒体の責任を全体で担っているとのこと。

 しかし、慢性的な人手不足に悩んでいました。京都新聞社名簿を資料に、1971年と1992年に入社人数が落ち込んでいると振り返ってくれました。

 人手不足から3か月休刊したことや編集員が2名のみになったという危機があったそうですが、「意地というか絶対に残してやるという気持ちで」先輩たちが乗り越えてきた歴史も共有しています。

 コロナ禍では課外活動の自粛要請を大学から受けながら、紙媒体をやめるという選択肢はなく、ウエブで記事を発信し続け、廃刊することはありませんでした。

 65年史として1990年に編集された『権力にアカンベエ!』は今も編集員が読書会をするそうです。受け継いだ批判精神を再認識しながら、男性中心的な視点など今まで可視化されていなかった反省点も生かしながら、いま、京都大学新聞は号を重ねています。

 大学と学生の間には圧倒的な力の差があることから、両者の中間にあって中立でいればいいということではないと断じ、京都大学新聞は「本学は」とは言わないそうです。大学の広報紙ではないという自覚のもと報じているところは毅然としておられました。英国軍をわが軍とは言わないBBCの公共性や独立性はよくメディア論の授業などでも触れられますが、どこの大学新聞でもそうでしょうか。

 最後に砂川史佳さんは、100周年記念号に寄せられた藤原辰史教授の「悲観主義の私がこの大学にまだ希望を捨てられないでいる理由のひとつは、京都大学新聞の存在である。」に始まる一文を深く感動しながら紹介されました。京都大学新聞がどうなってしまったら「学問は、吉田や桂や宇治のキャンパスの地中深く、埋葬される」と、藤原教授は予言したのでしょうか。

 

 ぜひ記念号のご一読を。3000円で年間18号を郵送してくれます。『社史』の発行も予定しているそうです。卒業アルバムの編集を引き受けて、財政はなんとか維持されているものの、カンパも呼びかけています。

kup「at→@」ops.dti.ne.jp  こちら京都大学新聞社までお申し込みください。

 もちろん、ウエブサイトでも読めますが(下記リンクをクリックしてください)、紙面をレイアウトしている学生たちの汗を感じてもらうためにも、ぜひ新聞紙をご注文ください。100周年記念号の題字の下にしたためられた短い一節に、学生記者たちの熱い新聞愛が読めます。壮大な夕陽を背景に。

 ちなみに、このレポートを書いている私は、京都大学のヒトではありません。近所の新聞、コミュニティ新聞として読んでいる住民です。学生記者のひとりが言いました。大学とは、近隣住民にとって数年で所属メンバーが入れ替わってしまう得体の知れない暴力装置でもあると。でもこの新聞を通じて、そこにいる学生たちが愛すべき好ましい若者たちであると、販売BOXの近くに立つ守衛さんたちもアピールしてくれます。

このレポートを読んでくださった方、母校や近隣の大学の学生がつくる大学生新聞を読んでみてください。隣人の日常を知ることができる身近なジャーナリズムとして、遠い未来の学問への希望を垣間見る望遠鏡として。

企画・解説(ま)

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