Report:2025年6月/放送100年 市民のためのメディアであるために

 永田浩三さんは、はじめにガザとウクライナの戦争の映像をスクリーンに写し、多くの人たちが殺され続けていること、この悲劇に対して、私たちは何をすべきなのか、問われていると語り始めました。おりしも、イスラエルとイランの間で爆撃の応酬があり、核戦争の予感も交え、危機の時代に生きていることを実感させられました。

 講演の演目は「放送100年 市民のためのメディアであるために」で、1925年、ラジオが始まった段階から、政府はラジオを管理することを目論み、戦争の旗振りに使われて来たこと、戦後は高野岩三郎会長のもと、民主化の方向に進むように見えたものの、独立とともに、またもや郵政省→総務省の管轄下に置かれた歴史を振り返りました。

 そして2001年女性国際戦犯法廷番組の改ざん事件の内容が明らかにされました。右翼がNHKへの電話や抗議行動が始め、「永田を出せ」と迫る中、局長クラスが自民党議員に呼ばれ、番組がズタズタにされていく過程を、当時チーフ・プロデューサーとして関わった永田さんは、悔しさと反省の思いをこめて率直に語りました。

 参加者からの質問は、「国会を担当する役員がなぜ放送内容に関わるのか」、「組合は何をしたのか」、「もし永田さんがあくまで改ざんを拒否したとしたら、どうなっただろうか」など、緊張に満ちた応答になりました。

 永田さんは最後に「状況は厳しいが、仲間を広げ、市民のためのメディアをめざして頑張っていきましょう」と訴えました。(K)

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